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大橋巨泉の死にまつわるテーマ

私が若かった頃、大橋巨泉は時代の最先端をいっていたカッコいい大人だった。昨年大橋巨泉が長年のがん闘病の末に自宅で在宅医療を受けたいということで自宅に戻ってきた。在宅医は「巨泉さんはどこで死にたいですか?」と問う。終末期緩和ケアを在宅で行っていくという在宅医の問だったと思う。

それを聞いた巨泉さんは奥さんの言葉を借りれば「スーと小さくなっていった」と、その数か月後に亡くなったということだった。奥さんは在宅医との信頼関係が一気に失われた思いを語っていた。

その事例では何人かの著名な在宅医は「その医者は教科書通りの対応で未熟だった」とか「私はこの問は使いません。病状を認めたくない人や生きていて欲しいと願っている家族にとって、とても苦痛を伴う問いになります」という意見が多い。人と人、患者と医者との間に人と人としての会話が出来る状態。そうなっていない中ではコミュニケーション技術が必要なのかもしれない。

しかし人と人としての会話が出来る状態、そういう方向のようなものが語ることなく、未熟とかこの問い方はしないということを論じる意味の小ささを感じるのは私だけだろうか?

私は7年前に母の看取りをした。2回の骨折で手術をしない選択をして寝たきりの状態で痴呆が進み体調も悪くなり93才で亡くなった。寝たきりになって間もなく来てくれていたケアマネの方が母の寝顔をみて「お母さんはもうじき死ぬんじゃない?」と彼女が思うままに語ってくれた。そのケアマネさんに対してとても近しく嬉しい気持ちになったことを思い出した。

先生に母はいつまで生きますか?と聞いても先生は答えてくれなかったからだった。関係が出来ていない中で聞いても答えようがないと今は思えるが母には食べないと死ぬという私の観方があったから死の間際まで流動のものを嫌がっているのをむりやり食べさせていた。当時の私は人の終末期はどういう状態かということを知らなかったし、医者にかかれば病気を治してもらえるといった、医療を自ら遠ざけていたことに気がついた。自分が主体では無かった。

このことから在宅医のテーマというより、住民自らが医療に対して主体性を取り戻していく必要を痛感した。


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