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死と生

6月16日。長谷川ひろ子さんが4人の子供と共に末期がんの夫を家で看取った、彼女が監督のドキュメンタリー映画の上映会があった。この日は終日、人間の死と生について観て反応し、思い、そして「生」を考えた一日だった。観終わって「看取りって本当にいいなぁ~」と湧き上がってくるものがあった。末期がんの夫の日記の一節に「死を見つめることによって、生きているものたちへの価値や愛しさが倍増する」とあった。死を見つめることは生きるということの意味を浮かび上がらせてくれる。死を受容した人の姿に本来の人間の姿を観ることが出来た。しかしながら、看取りという時間が無く死ぬことだってある。

「死は人間の完成だ」と小説家の山本周五郎は語る。彼の小説、武士を捨て浄瑠璃の作曲に一生を賭けた男の物語「虚空遍歴」の最終章の一節が僕の中で浮上した。―――そうだ、これなのだ。あたしは芝居を見ながらそう頷いた。あの方が自分の作に満足せず、作っては直し、直したのを作り変え、また初めからやり返す、という苦心を繰り返したのは、一篇の浄瑠璃をまとめあげるのが目的ではなかったからだ。一篇の浄瑠璃を仕上げる以上の、もっと真実な、動かすことのできないなにかを求めていらっしゃったのだ。なにか、というものを現実にとらえようとするために苦心したので、ひとつの浄瑠璃が成功するかしないかは問題ではないし、たとえそれがどんなに成功しても、あの方は決して満足はなさらなかったに違いないと思う。死は人間の完成だ、とあの方は仰った。―― 僕は15年近く前に重度の障害をもつ青年の詩に出会った。生まれてから今日までベットの上での生活の彼の言葉(うる覚えだが)。「社会の役にたつというのが人が生きる意味だとしたら僕が生きる意味は何なのだろう」と。それ以来、思い続けているテーマであった。人は人と人から生まれ、そして人と社会の影響を受け続けながら生き、そしてその中で死んでいく。どんな人も人と人のつながりから決して離れて生があるのではない。ということを知る一日であった。


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