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高齢者の居場所と子供食堂の居場所から探る「居場所の力とは?」


2月度公開講座パネラー

◆安心した居場所はどうやって?

人生最期まで自分らしく、そう生きられる地域社会にしたい。そんな願いで活動する「理想の暮らしを語る会」の2月度公開講座が2月23日、鈴鹿カルチャーステーションで開かれました。今回は「自分らしく暮らすには、『居場所と安心』が不可欠」をテーマに、高齢者の居場所づくりに取り組む西村美紀子さん、子供食堂の活動を続けている伊藤美枝さん、人と社会の本質を研究するサイエンズ研究所の小野雅司さん、そして理想の暮らしを語る会メンバーでケアマネの森原遼子さんをパネラーに3時間半に渡るディスカッションがありました。

安心した居場所がどのように作られ、どのように自分らしく過ごしているのか、その実践例が各パネラーから紹介され、会場とのやりとりの中でテーマを深めていきました。浮き彫りになった事は、安心できる場所が居場所となり、そこでその人がその人らしくイキイキとしてくること。そういう場を運営する人たちには、「人が好き」という愛する心があることでした。パネラーの発表をザックリと紹介します。

「協」の西村美紀子さん

◆しなければならないことはがない場所

最初の発表は、伊勢市に隣接する玉城町で高齢者の居場所「たまきのつどい場“協”(かなう)」を運営する西村さんです。 「認知症になっても安心して暮らせる場をつくりたいと思い、地域の協力で3年前に“協”をオープンしました。自由に集えて、安心できる場所として運営しています。“これをしなければならないという場所”ではありません。その上で、それぞれが自由に、おしゃべりしたり、ゲームや折り紙、手芸、お茶、お勝手仕事など、好きな事をして過ごしています。ここではそれぞれが何かしらの役割をもって、その人らしく過ごしています。認知症がよくなった。元気になった。友達が出来たなど、イキイキし、家にいるみたに寛いでいます。ここはみんなの力が湧いてくる場だという人もいます。」 地域の人たちの共感を得て居場所が生まれ、助け合う関係が広がっている様子が伝わってきました。

子供食堂の伊藤美枝さん

◆ルールにこだわらない気風の中で

次は、鈴鹿で子供食堂や子供たちの居場所づくりに取り組んでいる伊藤さん(副代表)です。 「鈴鹿子供食堂は4年目です。今は社会福祉協議会で月1回、親御さんと一緒にボランティアさんの協力で開いています。子供たちの環境や居場所がどうやったら出来るか、という些細な話がキッカケでした。地域の方からお野菜を頂いて、子供たちと一緒に調理して食べています。意外と子供は何でも食べますよ。あれダメこれダメと言うのは親の方です。大皿に盛った料理も、多く取ったら足りなくなることを教えなくても自分たちで考えてやっています。調理から片づけまで、誰かの指示もなく、自然と自分の仕事を探して、自分たちでやって、綺麗に掃除まで終わる。毎回感心します。

不登校気味の子もいます。そんな子も小さい子に絡まれて一緒になってやるようになりました。子供どうし心を開くのがはやいです。鈴鹿では、ママさんも楽しんでいます。他では、緊張したり、子どもに気を使うお母さんがいるのですが、鈴鹿はあまりルールにこだわらないで何があってもいいか、という空気があり、自由にやっているので、それを感じるみたいです。 子供たちに愛情をもって接していけば、子供たちもきっと心豊かに社会に出ていけると思う。そんな見守っていける地域を作っていきたい」 そんな子供たちへの愛情を感じる発表でした。

サイエンズ研究所の小野雅司さん

◆フィクションからの解放

続いて、サイエンズ研究所の小野さんの発表です。19年目になる「アズワン」の活動とその一つ「鈴鹿コミュニティ」や「おふくろさん弁当」の会社などを紹介しました。 月面からの地球の写真を示して、「この青い地球には元々国境なんてない。その一つの世界をアズワンと呼んでいます。国境は人間が考えたフィクションです。そのフィクションに縛られて人間らしさや自分らしさを失っているのではないか。その本来のものを目指しています。規則、命令、上司、責任などもフィクションです。そういうフィクションに縛られない試みとして弁当屋もやっていす。 「理想の暮らしを語る会」の活動も、そんな「アズワン」の活動の一つで、老後の暮らしや最期をどう迎えるか、本来、元々どういうものかをゼロから探究しながら中井さんたちがやっています。死についても明るくオープンに話し合っているみたいです」 このゼロから探究して本来のものを見つけ、実現していく方式が「サイエンズメソッド」で、自分らしく生きられる社会を実現していくということです。

理想の暮らしを語る会の森原遼子さん(ケアマネ)

◆居場所には人の心が必要

最後は、ケアマネの森原さんが、職場で介護していて今思うところを話しました。 「薬、食事、排せつ、入浴をサポートすることが職員の仕事で、その人の内面や心まで関心を向けるところまでは至っていないのが現状です。私は、その人の正面に座って、顔を見て、様子を聞きながらやっています。人がいても、心とか愛とかがないと、その人にとっての居場所にはならないのではないかと思います」 と、そんな問題提起をしてくれました。

◆居場所の力と本人の力

司会進行役の中井さんが、自分の関心事を各パネラーに質問していました。 子供食堂の伊藤さんには、子供を“褒める”ことについてどう思うか?と。 伊藤さんは「形だけ褒めたとしても何が子供に伝わっているか、それよりも一緒になって楽しんだり共感すること。子供の方がピュアで発想も豊かです。そこを大事にしたい」と返していました。

理想の暮らしを語る会の中井正信さん

中井さんは、様々な観点で質問をぶつけていました。子供を叱ったことでその子の中に何が残るのか。社長夫人だった人が認知症になり施設に入ったが、社長婦人のままの態度で施設職員を叱ったりして居られなくなった、その人のアイデンティティとは何だろう?など。 本人の力と居場所の持つ力の関連の中で、自分が認知症になっても、そうなる前に本来の自分を知っていければ、認知症になっても周囲の人と仲良く暮らせるのではないか。そういう本人の持つ力と、居場所の力によって、その人も周りもラクに暮らせられないだろうか。そんな内容だったと思います。

「協」のスタッフの一人

◆人間本来持っている力を

この点について、「協」を運営している方からこんな発言がありました。サイエンズ研究の発表も理解を示し、「人は虚構の中で生きている」という点を納得しながら、 「私たちは年を取ると処世術が身についていく。知らないことでも取り繕うのが上手になる。協に来る認知症の方も最初は、出来ないこと、やりたくないことでも、声をかけられるとやってみようとする。ところが、この場所が、そんなふうに取り繕はなくてもよい場所だと感じてくると、素直になって来ます。私は認知症でそんなことは出来ない。やりたくない、と言う。そのままの自分を受け入れてくれる場所だということが分かってくるようです」

取り繕うのも一つのフィクションに縛られている状態なのでしょう。そこから解放されたというお話しでした。自由にさせておくと、人は何をするか分からなくなる秩序が保てない、と考える人もいるかもしれません。さて、本当はどうなのでしょう?

講座の最後に小野さんが、「協」と子供食堂の話を聞いて感じたことを話しました。 「現場の中でも、規則や命令でそこを運営しなくても、子ども自身にも、認知症の人にも、そういう調和していこうという力があって、そういうことを現場で感じていることが印象に残った。そして、それは、そこを運営する人たちが「人が好き」という気持ちでやっている、それがあって、そんなふうにやれているのではないか。人には本来そういう力があるのではないか」 2つの実践例から見えてくる人間本来のもの、そこが発揮されることが力になっていきそうです。

さて、このテーマは、高齢者や子供について言える話ではないと思いました。私たちが、どのような場で安心し、自分らしさが発揮できるのか、そんな人間社会問題に投げ掛けているテーマです。会社や職場でその人の持てる力が発揮されるかどうかにもつながります。サイエンズ研究所が、現場の話の中で、人や社会のどういう点を研究しているのかがよく見えた講座だったと思います。(記事と写真:いわた)


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