介護は人に、その人の時間に寄り添うこと
昨年に現慶応義塾大学大学院健康マネジメント研究科教授である堀田聰子さん「地域包括ケアシステムの構築とは人間復興の文化的な運動ではないか?つまり白衣と患者の関係性というものが患者であるとか専門職であるとかを超えた一人の人間としてその関係性の中で人間中心のケア、人間中心のまちづくりそれを追及していくことが極めて重要だと。」この言葉に影響を受けて昨年末より「介護は新しい文化を創造する」というテーマで公開講座を開いてきました。ちょっと飛んだテーマだと思いながら続けてきて、ようやく日常の暮らしの中でこのことが芽吹き始めたようです。
今回の水谷さんの講演は堀田さんが語られていたまさに、「人間中心のケア」そのものだと思いました。今回の公開講座に参加された中の、心臓疾患者の夫の日記①とその妻の公開講座感想②をアップしました。
① 心臓疾患者 の夫の日記より抜粋 6月23日、梅雨らしい雨が降っていた。 この日の午後「介護は新しい文化を創造する」という公開講座があった。 講師は水谷裕哉さん。小山田記念病院で理学療法士をしている。30代の青年。 理学療法士といっても、守備範囲は広い。 予防、回復、維持、緩和ケアとあるという。 緩和ケアに理学療法士がかかわっていること、はじめて知った。 「理学療法といっても、まず患者さん自身が、飛行機の操縦管をにぎっている主役は自分だという意識が欠かせない」とした。 このような話はあちこちで聞いてきたが、水谷さんの話には現場の体験からにじみ出る実感があった。 今回は、緩和ケアの理学療法の体験談をいくつか話してくれた。 どの実例でも、死期を目前にした人の、その生き方に触れている。 「患者さんは、もう何も出来ることはなくなる。 それでも、身体や気持ち、意思、生き方はそこに現れる。 そのとき、そのときの生き方が出て来る」 患者に寄り添うということは、いつも聞く言葉だ。 水谷さんの体験談には、一人ひとりのその人の内的時間にまで 寄り添ったという実感に裏打ちされていた。 水谷さんは、話しながら、一人ひとりの看取りが再現されてくるようで思わずこみ上げてくるものを止められなかった。 彼はそのようなを体験を淡々と語ってくれた。 それだけに心に響くものがあった。 「介護は文化を創造する」というタイトルそのものかなと思った。 介護は、人に、その人の時間に寄り添うことである。 医療や看護、関わった人たちも、それを願っている。 そこに焦点を合わすということは、死期を迎えた人たちにたいすることというより、 われら人間社会の基盤となるものではないか。 理学療法という枠を越えて、周囲の人たちにそのような気風が届き、 そしてそこに患者さんとの共鳴を生み出されるのか。 どんな死に方をするかと、つい一人で考えている。 こんなこと、人に話してもどうなるものでもない。 どこかで、こんな身体の状態になってしまったから、どうしようもない、 という気分がありそうだと気づいた。 死期をを知った人は、水谷さんの体験では、必ず周囲の人たちの幸せを願っている。 自分の、死に向かう生き方をもっとその時、その時、真剣に考えていきたいと思った。 自分の人生なんだから途中で退席した。 雨は振り続いていた。
心臓疾患者を介護する妻の感想
水谷さんの患者さんに寄り添う姿勢に感じるものがありました。 現在、夫が心疾患で心不全状態が続き、日常生活では、ほぼ自分で身の回りのことはやれているのですが、食欲不振・息切れ・便秘・夜眠れない等々があります。 食事が喉を通らないというので、いろいろ聞きながら工夫して作ったりした物を残したりすると、一生懸命作ったのにと思うこともありました。 また、調理している時に、「背中を掻いてほしい」と言われ、今は手が離せないと思い「ちょっと待って」という時もありました。 その時の自分の心の状態はと観てみると、私が一生懸命作ったものとか私は今これをしているとか、私中心でそこには、夫の状態はどうかとか夫の気持ちはという視点はありませんでした。相手に寄り添うのが大事と思っていても実際はどうなのかと観てみるとこんな状態に気付き、今、自分は何がしたいのかとちょっと立ち止まって心の内を観るようになりました。 (今、夫はどんなかな?わたしはなにをしたいかな?)と。 介護される側と介護する側のお互いの関係がどうなっているのかを考えさせられました。 してやっているというところでやっていては、寄り添うということにはならないなと思いました。 お互い、だんだんとやれることが少なくなっていく中でやれる人がやれない人を支え、やれない人はやれる人に支えて貰うという、今の自分のままで素直に自分の気持ちを出して、お互いを尊重しあうそんな間柄になって、そんな社会になっていったらいいな~と思いました。