アクティブエンディング
アクティブエンディング~家族で考える終活講座~に参加して 2012年に41才の若さで亡くなった金子哲雄さんは流通ジャーナリストとして、あるバラエティ番組に出ていて、そのぽっちゃりした体型と親しみやすさで人気者だった。 私もこの番組はよく見ていて、ある時を境にみるみるうちに痩せていき、芸人の司会者に何度も不思議がられていた。 彼はその都度、「鍋料理でダイエットした結果だ」と答えていたのを覚えている。 その彼の奥さんの講演会だった。
受診した病院でいきなり、病名は肺カルチノイドという肺がんの一種で、呼吸器系統に腫瘍が出来て、もう手の施しようがなく、目の前で今、突然、窒息死しても おかしくない病気だと宣告されたそうだ。 亡くなるまでの一年半に「ぼくの死に方」という本を書くことで、元々雑誌の編集者だった奥さんと、夫と妻に加えて作家と編集者という立場で、いろいろなことを語り合うことが出来たそうだ。 アクティブエンディングの神髄は、「いきかたを自分で決めること」 いきかたには「生き方」と「逝き方」があり、(病気が発症してから死ぬまでの期間)と、(臨終時)と、(死後・死別後)の情報は三つに分断されている。 それを8項目からなるアクティブエンディングチェックポイントで、分断された情報を自分の死生観を確立していくまでに導いている。 特に終活は残る者、子供にこそ学んでほしいと力説されていた。 私も主人が亡くなってから初めてグリーフケアというものを学んだので、切実にそう思う。 病気をもう治すことが出来ないターミナル期(終末期)にはスピリチュアルペインという死を前にした時の痛みが起こる。 体の痛みはモルヒネなどにより、ほぼ99パーセント緩和できるということだ。 しかし、厄介なのは心の痛みで、これは当事者にしか分からないし、介護する家族にとっては辛い体験だ。 でも、そこで金子夫妻は深い対話を成し遂げたという。 夫の「つらいよ、何とも言えない苦しさなんだ、もう死にたい、ぼくの人生は何だったんだ・・・」という無念の言葉を奥さんはひたすら聞いた。 背中をさすることしか出来なかったと言うが、吐き出す場所 があることがどんなにありがたかったかと想像する。
金子氏は80才まで目標設定して人生を営んでいたにもかかわらず、突然の死の宣告。 ここで初めて、死ぬとはどういうこと?ということを考えざるを得ない境地に立たされる。 それは同時に、生きることはどういうことかを考えることにもなる。 人生最大の課題、否が応でも取り組まなければならない。 「死」を理解するには、「生きる」を学ばなければならない・・・今までの人生、何もやってこなかった、何も分かっていなかったことが分かっただけ。 その身もだえするような「苦しみ」を分け持てない家族の苦しみ。 90才であろうが40才であろうが、それは同じ「未経験の死」 そして、 彼女が提起したのは、「あらゆるものが絶たれていまった痛み」を理解してほしいという。そのあらゆるものには肉体や家族、友人、仕事、地位、お金、そして、自分自身。 絶たれていまうことに圧倒的な不安を覚え、身の置き所のなさを想像されていたが、私は、繋がっているものがそのようなものであるならば、逆に解き放たれたときにこそ自由と安定が得られるのではないかなと思う。 最後の最後に自分自身ともおさらばしたならば、これは未だかつて経験したことのない幸福の極致なのではないだろうか。 とさえ思ってしまう。
死んだらどうなるのか・・・と考えるよりも、今現在、どんな繋がりの中に自分はいるのか、生かされているのかを味わう ことのほうが先決であるように思う。 それは「ひとつ」を学んでいくこととも言えるのではないだろうか。 ひとつの中に存在しているのならば、常に誕生と消滅は繰り返される。 その時がくれば、消滅するだけ。 そのことを未知の不安として捉えずに、ありのままで迎え入れたいと静かに思う。