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自分らしく老う(老いと死)

夏になったような陽気でした。 ”衣更え”というのが、思い浮かびました。

5月14日昼下がり、理想の暮らしを語る会公開講座 テーマ「自分らしく老う(老いと死)」が、鈴鹿カルチャーステーションでありました。

この企画のお知らせは「広報すずか 5月5日号」に載りました。 「テーマが老いと死じゃ、あんまり人気ないかもなあ」ともおもっていました。 ところが、続々と寄って来られて、椅子をふやしました。 30人ほどになりました。

話をしてくれた人は3人。 1、未来の里山プロジェクト   鈴木英二さん 2、アズワンコミュニテイ暮らし  今井亜子さん 3、西部地域包括支援センター  玉井功輔さん

それぞれ、20分、今、思っていること聞かせてもらいました。

鈴木英二さん、66歳。 のっけに、トースターで食パンを焼いたときの失敗談がありました。 パンを乗せていたお皿がないのです。あっと、気がついたら、お皿ごとトースターに入れていたのでした。 夜は悲惨なんです。おしっこで何回も起きるけど、腰痛などで、最近は尿瓶を使っています」 在りし日はアルピニストとして活躍していました。 朝になると、夜が嘘のように、里山に行くと元気に動けます。 里山や炭窯をやりながら、カラダのことや、仲間とのやりとりなど思い通りにならないこともあります。 最近は、そういうときは心の状態がどうなっているか、見るようにしています。 乗り越えるというよりは、問題がなくなっていることがあります。 さだまさしに「空になる」という歌があります。 好きです。 いくつもの峠を越えて、いつか空になる」

今井亜子さん、61歳。 週に一度、京都に行って、お一人様暮らしの方のケアーをしています。 やってきて、お一人様暮らしになって、元気になるのは、女の人ですね。 男の人はダメです。だいたい、5年ほど経つと死にます。 「ええ?」と参加の反応。亜子さん「そうだったんです」 私も4年前、夫がガンで亡くなりました。山の好きな、元気な人でした。 ガンと分かってからも、生きるぞ、と頑張っていました。私に弱音を吐きませんでした。 いつからか、老いや死を自分から遠避けていたんでしょうね。 死を受け止めることが難しかった。 「今、エンデイングノートというものをつけています。いろいろなタイプのものがあります。財産をどう分けるか、細かく書けるようになっているものとか」 「親しい人と、見取りの家みたいなものつくりたいなあと話しています。自宅でもなく、病院でもなく、家族のような人たちと暮らしながら、死んでいきたいなあ、と」

玉井功輔さん、40歳。 「高齢者の方の相談援助をやってます」若々しい語り口。 「親の介護のため、職につけないでいる若いケアラー(介護者?)が全国で17600人いると言われています」詳しい。 わが家族というので、玉井さんが65歳になったときの実際を シュミレーションしてくれた。 娘は結婚して子どももいる。親父は80歳を越えて、要介護状態かもしれない。 このとき家のローンはまだ残っている。 年金だけでは、暮らしていけないだろう。 こんなとき、妻か私が欝になったら、目も当てられない。 「私はこの仕事していて、とっても楽しいです。子育てもたのしいです」 (そういうことが、こころゆくまでやれる条件を整えることができないかなあ) 言外に語っているのかなあと感じました。 生命科学者で難病と付き合っている柳澤桂子さんの言葉を紹介してくれました。 「生きていることは残酷」「人には生きていきたいという気持ちがある」 「老いの苦しみを生き抜くこと」「救い、カラダは苦しくとも、心は苦しくない」 「苦しみを分かち合う、心が満たされる」「お互いが通じ合うことこそ」

3人の話が終わったのが、2時30分、ぴったし。 「わあ、すごい!」と中井さん。

この後、参加者と懇談。

「エンデイングノートをぼくも書いてみたいとおもった。それを、他の人に聞いてもらうのおもしろい。他の人のも聞きたい。どんどん変わっていってもいいんだし」

「聞いていて、暗い気持ち。64歳になって、家事や仕事からやっと離れてスポーツやカルチャーセンターなど、通い始めています。健康でいたいです。 健康寿命を延ばしたい。人に迷惑かけたくないですからね」

「死ぬことをいま考えるというのは、今をどう生きるかということでもあるのかなあ」

「エンデイングノートって、老化の予防や人の最後をどう全うするか、そこが大事かな。倒れたとき、救急車を呼ぶか、延命措置をするか、主治医はいるのか、地域で使っているところもありますね」

「南伊勢で平均80歳の年寄りの拠り場をやっています。ワイワイ、ガヤガヤとっても賑やかです。今日の会合で男の人が半分以上いるので、びっくりしています。だいたい、こういう場に来るのは女の人が多いんですが。 老いを元気に過ごすには、とにかく寄ることが大きいです」

「さっき、苦しみを共有するっていってましたが、人と人がつながるって、どんなことかなあ」

「いま、要介護1,2の人、5人のケアしています。家族とのつながりがなく、ホントにお一人様なんです。死んだときは、オレが納骨するでな、とか、病院から帰ってきたら、お帰りって声かけている、そんだけなんだけど、・・・一個人としてつながっているんかなあ?」

「もう、80に近いけど、いろんなところに顔だしている。スポーツジムで水泳しているけど、心臓の病でカラダはあまり動かないけど、会うとよくしゃべる人がいる。野球のことから、そのほか話題にことかかない。持ち味だなあと思う。やっぱり、みんなの中に出て行くのが大きい」

「そうなんだよね。炭焼きやっている連中が10人ぐらいいるけど意見違っても、寄っているといろんな話になる。男の井戸端会議みたい」

「玉井さんの話を聞いていて、この国では親の介護は自宅でするという方向らしいけど、子どもが親の介護をするもの、という社会常識がそのままだと、結局家族のところに社会の矛盾がしわ寄せされていくんじゃないか」

「デンマークとかスエーデンでは、親の介護は社会で見るという考え方がベースになって、社会福祉の仕組みができているとか」

「そこ、具体的なテーマもあるけど、人間をどう見るか、社会をどう見るか、一つの大事なポイントかな」

「地域の老人が寄れるサロンをつくること、行政が進めていますね。

地域の自治会だったり、社会福祉協議会だったり」

「機能してるのかな」

「人と人がつながるっていうのは、どういうことを言うんだろう?」

「これから、包括支援センターでは、医療、介護、終末期医療など総合的な地域の福祉システムの実際を住民のみなさんに知ってもらって、いっしょに考えていきたいと思っています。よろしく、おねがいしますね」(これは、玉井さん)

最後に、中井さんから7月公開講座のお知らせがありました。

7月理想の暮らしを語る会

  公開講座のお知らせ

テーマ  “死んだ時、どうしてほしい?”

1、日時  7月9日(土)13:30~15:30 2、会場  鈴鹿カルチャーステエーション 3、参加費 500円

4、考えるヒントを提供してくれる人

〇誰もが入れる墓所 “ニルヴァーナの森”をつくった

宣隆寺住職 ゆはず唯正さん

〇海洋散骨海のおくり人を任じる 柳川真一郎さん

5、公開講座の趣旨

死は誰にも訪れます。そんなこと分かりきったことみたいですが、意外に「死」について語ることは避けてきたように思います。 なんとなく、どこかで「死はダメなもの」と捉えていたようです。 「死んだらどうなるんだろう?」という不安もあります。 「死にたくない!」と心の奥から聞こえてくる声もあります。 「どんな死に方したいとおもっているのだろうか?」とか、 「死んだらどうしてほしいとおもっている?」とか。 そんなこと、他人に言うことと違う、となっていませんか。 自分が、老いや死について、どんなことを思い、何を願っているか、各々のなかでも、少し立ち止まって振り返ってみたいし、みんなで楽しく語り合えたらいいなあと思います。 今をよく生きるために。 そんな願いで開催します。

   <理想の暮らしを語る会がめざすもの>

 「ほんとうはこんな暮らしがしたいよな」とか、 「こんな社会だったらいいよな」とか、静かに自分のなかの  気持ちや願いに耳を傾けたら、誰もが、言葉にできる、  できないは別にして、語りたいことがいっぱいあるのではないでしょうか? 人はそれぞれ、その時代を自分なりの人生を歩んできました。 語る会では、お互いを尊重し、理解しながら、なんでも話せるし、話したくないときは話さなくてもいい、そこにいるだけでいい、そんな時間をともに味わいたいと願っています。 今を生きることが、面白いなあ、豊かだなあと、ふと湧いてくるような、また寄りたいなああとなるような会にしていきたいです。


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